最後報告書

 …先学期も最後報告書をブログして忘れちゃったけど、今学期(遅刻したのに)ブログします。よろしくお願いします。


日本語302個人学習プロジェクト最後報告書

「任天堂の歴史について」

低  名:パーキンス・ジョン

 

私の選んだトピックは任天堂の歴史である。子供の頃から任天堂のゲームが好きで、そして最近も興味があり、だんだん任天堂の歴史に興味が増えていった。ネットでたくさん任天堂の歴史についての情報を見たが、それ以上調べたかったので、このトピックを選んだ。

今までの調べた成果はかなり良いと思う。最初、任天堂は1889年に山内房治郎(やまうちふさじろう)という人が作った。任天堂はもともと花札会社として山内房治郎さんによってできた。その時、花札はギャンブルのものとしてヤクザに使われたが、任天堂の初代の山内房治郎さんが我慢して手作り花札を作って売った。その後、1902年に任天堂は洋風カードも作った。もともと輸出(ゆしゅつ)のために作られたが、日本人も好きになったので、日本でも大ヒットした。このカードは当時の任天堂の一番成功した商品であった。その後、1929年から1949年に亡くなるまで金田積良(かねだせきりょう)という人が社長であった。金田積良さんの任天堂も前の社長のようなカードを作る会社だった。金田が社長の間、丸福という配給会社も作った。でも、金田が亡くなった後、山内房治郎の曾孫の山内博が社長になって任天堂は「任天堂骨牌株式会社(にんてんどうかるたかぶしきがいしゃ)」に社名変更した。1959年にディズニーの洋風カードを作って、4年後任天堂はまた社名変更した。今日と同じ社名ある「任天堂株式会社(にんてんどうかぶしきがいしゃ)」に1963年に社名変更した。後は任天堂のゲームの商品を調べる。1977年に「テレビゲーム15」と「テレビゲーム6」というテレビゲーム機を発売した。任天堂のゲーム会社としての歴史はこれから始まった。そして、一年間後アーケード機を開発して売り出した。この頃、任天堂はアーケード機とアーケードゲームを作る傾向があって、ドンキーコングなどのゲームをつくった。この時、1982年にNintendo of America Inc.はワシントン州で設立した。1985年に「スーパーマリオブラザーズ」というゲームはNESというゲーム機と発売した。今まで「スーパーマリオブラザーズ」は世界中に大人気があって、ゲームの文化にとってとても大事な時である。これからの歴史はたくさんあったにもかかわらず、任天堂の公式サイトのタイムラインには様々の点がとても短いである。それで、様々の年の説明ではなく、様々の時代をもっと詳しく説明したほうがいいと思う。最初は21世紀前であって、特に1985年から2000年までである。この時代の任天堂はかなり人気がある。NESとかゲームボーイとかSNESとかN64とかを発売して、家庭のゲーム機の時代である。NESSNESN64は全部家でゲームをするゲーム機であったけど、ゲームボーイは手持ちのゲーム機である。その時、ポケットモンスターなどのゲームはゲームボーイ売られたけど、その時代のゲームボーイ以外のゲーム機のよく知られているゲームはマリオなどのゲームである。とても興味深い時代であった。その後は現在の時代であった。時間を過ごすのはとても不思議と思うんだから、2000年からは現在だと思う。この時代は任天堂の国際成功の時代である。GBAとかDSとかWiiとか3DSとかWii Uとかたくさんの種類のゲーム機を発売した。特にWiiがアメリカで大成功であった。そして、この時代は山内博の任天堂の社長としての最後の時代である。2002年に岩田聡(いわたさとる)という人は2015年に亡くなった時まで社長である。つまり、山内博は53年間に社長であった。1949年から2002年までであった。その時の間に任天堂は本当に咲いた。

この報告書の内容はとても長いから情報の位置とか長さとかは本当に考えるのは難しかったけど、最後に調べるのはとても楽しかったから、喜んでいる。子供の頃から任天堂や任天堂の歴史や任天堂の社長のことは興味があったから、いい感じであった。


コメント

  1. 遅れても、最後のブログを書いてくれてありがとうございます。
    ジョンさんにとって今学期はどうでしたか?いい学期であったことを願っています。
    来学期もどうぞよろしくお願いします!

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